800万人にひとりというこの難病を持ったアシュリーちゃんが
2009年に17歳で亡くなるまでを追った遺伝子の番組がありました。
病気ものや死んでいくドラマはきらいなのでほとんど見ないのですが
魂のレベルというのでしょうか、アシュリーちゃんに吸い込まれるように
ずっと追いかけるように見ていました。
プロジェリアは死ぬ病ではなく、「老いていく」病です。
成長することなしに老いていくアシュリーちゃんの日々を見て、当時不思議だったのは、
「どうしてアシュリーちゃんは
そんなに学校に行きたかったんだろう?」ということ。
体がどんなにしんどくても痛くても
友達がみんな思春期を迎えて大人に向かっていく中、自分だけが置いてけぼりでも
なんとしても学校に行こうとするアシュリーちゃんが不思議だったのです。
子どもの私がアシュリーちゃんだったら、「学校なんて私にはムダじゃないの」と思ったと思うから。
でも人は社会の中で生きる生き物だから、
子どもでなければ、自分の社会を選ぶことができるけれど
アシュリーちゃんにとっては学校こそが「生きていく社会」だったのでしょう。
教会に通って、ペットショップでアルバイトもして、
アシュリーちゃんは毎日をとても普通に、でもかみしめるように過ごしていました。
死ぬまで生きても数十年しかないのに、
「いつ死んでもいい」なんていいながら、明日死んだら困る。
「そのうち」「いつか」「今のところ」「ゆくゆくは」という言葉を使える特権がある。
朝目が覚めたら、また今日がある。
いつどこで何で中断されるかわからないけれど、毎日新しい一日がやってくる。
こんなふうにして人は
死ぬ瞬間まで生きている。
来年があって来月があって明日がある、普通にあると思っている。
それが逆に
生きている今日を忘れているように感じてしまうことがあるのです。




